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 東京家政大学
 東京家政短期大学 名誉教授
片岡輝氏 
MR.HIKARU KATAOKA


その時代の先端的な物が
文化を引き上げる側面もが


―― テレビゲームや電子玩具にも子どもの発達において効用があると考えて良いわけですね?

 
 テレビゲームの基本的な遊びは瞬間に画面の状況を把握し、それに対して指を使ったボタン操作でリアクションを起こすというものです。

 こうした能力は昔ならば遊びの中で、例えば溝があってそれを飛び越えるときに、助走をつけて走ってきて踏み切る瞬間に飛べるか飛ばないかを判断して無理そうだったらストップしたりする。そうやって自分の状況に応じて反応する力を磨いたのですが、現在はテレビゲームでそうしたことをやっているという側面があります。その部分だけを捉えると、時間を決めてやる分には意味があると思っています。

 ただ、問題なのはその部分だけに集中してしまうとバランスが崩れてしまうことです。テレビゲームもそれにのめり込み過ぎて他のことをしないような状態になってしまえば歪みが生じてしまう。これはバランスの問題です。

 別の角度から見るとテレビゲームや電子玩具に限らず、常にその時代の先端的なものが、これまでも人間の文化などを引き上げていく役割をしてきたのは事実です。やはりそうした突出している部分がないと人類に進歩はないのですから。

―― 特に女の子のおもちゃ離れの時期が早くなってきており、テレビゲームで遊ぶ層の低年齢化も進んでいます。昔に比べて子どもの成長が早くなっているように感じるのですが。

 これは良く知られたことで、1930年代にも言われたことがあるのですが、以前と比べて初潮年齢が随分と低くなっています。これには社会の性を巡る情報の在り方や生活の環境の変化が影響しているようなのですが、こうした意味でも低年齢化、早熟化が進んでいる一方で、あまり成長しきれていない側面もあるようです。それを加速させる方向に向かうのか、もしくは元に戻す方向に進むのかは、子どもの生活環境をどのようにしていくのか、どう育てていくのかといった点で大人の責任になっていくのではないでしょうか。

 そして環境といった面ではおもちゃもその重要な一部です。子どもの早熟化を加速するような機能を持った玩具を作っていくのか、従来の発達の道筋、時間、タイミングに合わせたおもちゃを提供していくか。これは単純にどちらが良い、悪いとは判断できない部分ではあります。

 例えばSFの世界には様々な未来像が描かれています。中には子どもの知能が非常に高くなっているものや、ここまで人間は変わってしまうのかといった内容のものまであります。確かにこれは作家がイメージしたものですが、人の想像力はそれほど桁外れではありませんし、技術や文化も進化していますから、昔は考えられなかったことも現実になっている。それが人間にとって幸せなことなのかどうか。昔は九州や北海道への日帰りの出張などはできなかったのに今はそれが当たり前になっている。便利になったけれどもそれが本当に幸せかどうか(笑)。

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